「死」について ver.1

明確な理由は分からないが、何故か最近、以前よりも増して常に「死」を意識するようになった。
自分はどう死ぬのだろうか。死んだらどうなるのだろうか。死とは何なのか・・・。


「ゆく河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず
 淀みに浮かぶうたかたはかつ消え、かつ結びて、久しくとどまりたる例なし」
いやはや、いつ見ても古典は美しい。ご存知、方丈記の冒頭文である。
この文を古代ギリシアの哲学者、ヘラクレイトスの言葉を拝借して大雑把に要約すると、「万物は流転する」というところか。
そう、動植物を始めとするこの世に存在する全てのモノ、つまり森羅万象は絶えず流転しているのだ。


我々人間も勿論例外ではない。
誰しもがその法則に従い、この世に生まれては、ただひたすら「死」に向かって歩いていく。
悲しいことではあるが、それが運命であり、またそれが最終地点なので避けては通れない。
しかし不可能を実現可能にしてしまうほど進歩した現代では、延命技術のお陰で寿命が延び、
また昔の漫画によくある不老不死の薬が開発されるのもそう遠く無いかもしれない。
だが、いくらそのような研究がなされても直接「死」という存在自体を消し去るわけではないので、とどのつまり「死」からは逃れられない。延命技術など気休めであり、一時しのぎに過ぎないのだ。


おそらく誰しもが死ぬことに対して恐怖心を持っており、「死にたくない」と思うことだろう(中には宗教や思想で、かの有名な義和団のように「俺は不死身だ!」と大言壮語するおめでたい人も存在するが)。
しかし思うのだが、「死」をもっと真摯に受け止め、寛容的になるべきだ。
加えて「死」を否定的な目で捉えるのではなく、肯定的な目で捉えるべきだ。
「死にたくない、死を受け入れたくない」と言う人がいる。自分にはこれが理解できない。
先述した通り、死からはいかなる手段を講じても逃れることは決して出来ない。運命なのだから。
確かに死と聞くと恐怖を感じる。それは死という現象が非常に抽象的で、どんな有識者や知識人でも論理的に説明がつかないものであり、またそれ自体が未知なものだからだろう。
しかし我々人間は、この世に生まれてからというもの、着々と死へ前進している。これは紛れもない事実なのだ。そういった事実から目をそらし生きていく人生と、死を現実として受け止めながら生きていく人生。自分ならば後者を選ぶ。前者は非常にナンセンスだと思う。


自分は、「死」より「生」のほうが何倍も苦痛であり、残酷であると思うのだがどうだろうか。
人間死ぬのは一瞬である。しかし生きるとなると、人それぞれではあるが、それはそれは長い。
自分がペシミストだからか、この世の中、楽しい事より嫌な事の方が多いと感じる。
もし自分が殺人で逮捕され、終身刑と処される雰囲気なら、その近々に首を吊るか、刃物で頚動脈を切りつけるか、拳銃を口にくわえ脳天目がけて発砲するかして自殺するだろう。
自由も名誉も人として生きる価値も奪われて豚箱に閉じ込められる方が、何千倍も何万倍も苦痛だ。


私は死を恐れない。恐れるのは、今現在である。